フランスはノルマンディー地方のヴィモティエールにあるティーガーⅠ(タイガー戦車・Tiger tank)と、WW2 D-DAY(operation overlord オーバーロード作戦) 史上最大の作戦と呼ばれた,
ノルマンディー上陸作戦の戦場跡を巡った旅の記録
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 このブログのタイトルにあるノルマンディーとティーガーⅠ(タイガー戦車)と聞くと、すぐこの地名が頭に浮かぶ人も多いのではないでしょうか? ヴィレル・ボカージュの戦い(Battle of Villers-Bocage )で有名なノルマンディー地方の村 ヴィレル・ボカージュを訪れました。 ヴィレル・ボカージュは、ティーガー好きなら知らぬものはいない、戦車エース、ミハエル・ヴィットマンSS中尉を一躍有名にした戦いがあった場所です。 ヴィレル・ボカージュは、下の地図に示したように、ノルマンディー地方のカーンの西方にあります。 ヴィレル・ボカージュの戦いについては、ウィキベディア等に詳しく載っていますが、簡単に言うとカーン市攻略に手こずったイギリス軍は、第7機甲師団迂回させた。その旅団規模ともいえる先遣部隊が、ヴィレル・ボカージュで休息中、偵察にきていたヴィットマンのティーガー1台に攻撃を受ける。 ティーガー砲手「ふん、もう勝ったと思ってやがる」戦車長ヴィットマン「そうらしい、では教育してやるか」 ヴィットマンは、ティーガー戦車1輌で、イギリス軍戦車12輌、装甲車15輌を破壊。その後は増援のドイツ軍装甲部隊が到着し、イギリス軍は戦車、装甲車あわせて約60輌もの損害をだして、惨敗してしまい、連合軍のカーン攻略作戦に大きな影響を与えた戦いです。 この功績により、ミハエル・ヴィットマンはドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーより直接、柏葉剣付き騎士十字章を授与され、合わせてSS大尉に昇進しました。 下は当時の戦況図 このヴィレル・ボカージュの戦いについては、「ヴィレル‐ボカージュ ノルマンディ戦場写真集」に詳しく乗っています。 またヴィットマンについては、小林 源文 先生の「ヴィットマン戦記1943 」がおすすめです。 つづく。 PR サン・メール・エグリーズの教会のそばには、空挺博物館 (英語表記 The Airborne Museum フランス語表記 Le Musée Airborne ) があります。 外にはM4シャーマン戦車(M4A1E8 Sherman Tank)が飾られています。 残念ながら時間の都合で中は見ていません。博物館の中には、C47輸送機やWaco CG-4グライダーなど、オーバーロード作戦で米軍の空挺師団が使用した物が展示されているそうです。 詳しくは空挺博物館の公式HPをご覧ください。 サン・メール・エグリーズがある場所ですが、地図で示してみました。 サン・メール・エグリーズは、コタンタン半島にあり、アメリカ第4師団が上陸したユタビーチの背後に位置しています。半島の先端には、重要拠点であるシェルブール港もあります。アメリカ軍は上陸後、半島を分断しドイツ軍を孤立させ、シェルブール港を確保するという点でもこの村が戦略上重要だったのでしょう。 アメリカ第82および第101空挺師団の任務は、上陸海岸右翼の援護や後方かく乱であり、内陸部やコタンタン半島にいたドイツ軍の海岸への進行を食い止めるため、第一目標として、交通の要衝である、サン・メール・エグリーズとカランタンを奪取することでした。 作戦当日は、半島一帯は密雲につつまれておりドイツ軍の激しい対空砲火もあって、空挺師団の将兵は、広範囲に散って降下してしまいました。その結果、ドイツ軍が人工的に作った沼や、海に落ちて多くの犠牲者をだしました。しかし広く分散した米軍降下部隊は逆に、ドイツ軍にも混乱を引き起こすという予期せぬ効果もあげました。 混乱の中、第82空挺師団第505パラシュート連隊を中心とした空挺隊員たちは、6月6日早朝にサン・メール・エグリーズを占領することができ、この村はオーバーロード作戦によって解放された最初の街となりました。 |
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