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フランスはノルマンディー地方のヴィモティエールにあるティーガーⅠ(タイガー戦車・Tiger tank)と、WW2 D-DAY(operation overlord オーバーロード作戦) 史上最大の作戦と呼ばれた, ノルマンディー上陸作戦の戦場跡を巡った旅の記録
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いよいよ本日公開された映画「マイウェイ 12,000キロの真実」であるが、本編はまだ見ていない。暇を見つけて早めに映画館にいってみたい。

この映画では3つの戦場が描かれているのだが、1939年ノモンハン事件、1941年独ソ戦・ジュコーフスキー、1944年ノルマンディー。最初の戦場がノモンハンである。ノモンハン事件が描かれた映画では『戦争と人間 第三部 完結編』以外はよく知らない。ソ連(ロシア)映画にはあるかもしれない。



ノモンハン事件(満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した日ソ両軍の国境紛争事件・実質的には戦争)日本においては、あまり知られていないのではないだろうか。しかし、歴史上は、これによって、独ソ不可侵条約のあとの第二次大戦勃発 日ソ中立条約のあとの太平洋戦争開戦などに少なからず影響を与えた。

つまり、ソ連は日本が手ごわい相手だと思い、日本も本気でソ連とは戦争できないと考え、ソ連ははまず、ドイツと不可侵条約を結び、その直後、ドイツとソ連によるポーランド侵攻がおきる。さらに日ソ中立条約を結ぶことによって、日本は本格的に南下政策をとっていった。

考えてみれば、満州事変から泥沼の日中戦争、そして太平洋戦争へと日本を破滅への道に向けて突き進ませた、一つの原因は関東軍の暴走にあったのですが、このノモンハンもたぶんに関東軍の暴走により、いらぬ戦争をしてしまったということでしょうか。関東軍といえば、太平洋戦争末期にソ連軍が押し寄せて来た時も、住民を置き去りにして一足先(一部の現地召集の守備隊(捨石?)等を除く)に逃げ出したという、最後まで悪名を轟かせましたね。



予告編しか見ていないのはっきりとは言えないが、この映像から見る限り、爆薬を体に巻きつけて、敵戦車への自爆攻撃をしようとしてるようだ。たひかにノモンハンでは、日本の戦車では、ソ連軍の戦車にかなわず、対戦車砲や歩兵による決死の火炎瓶攻撃でソ連軍戦車を撃破したという事実はあるが、この時代に自爆攻撃はないだろうw
日本軍による自爆攻撃は、沖縄戦などの大戦末期であろう。

ついでに、映画の中では、強制徴用の朝鮮人(日本統治下)が、1939年のノモンハンの戦闘に無理やり参加させられているようだが、朝鮮人の徴兵が始まったのは、1944年のはずである。歴史的事実はきちっと守って映画を作っておらいたいものだ。
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